FC2ブログ

カフェマグノリアへようこそ!

日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ 【HALE OLA HOKULANI E KOMO MAI】
2019年12月 ≪  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫ 2020年02月
TOP ≫ CATEGORY ≫ 小説 ・ 小話
CATEGORY ≫ 小説 ・ 小話

雷雪の如く 7. 

 女に促されるままカウンターの席に腰かけた。5,6人、座れれば満席になるカウンターだ。上には小さなスリガラスの灰皿とメントールの煙草がひと箱、置かれている。灰皿にはまだまだ吸えそうなくらい長い吸い殻がひとつ。カウンター奥のキッチンに女が消えると暗かった部屋が少しだけ明るくなった。照明のスイッチを入れたようだ。部屋中の灯りを全部点灯させてもそれなりの明るさしか得られないのはこの店の業態が夜仕様だからだろう。

カウンターの奥の壁は全面、ガラス棚になっており、ウイスキーがずらり陳列してある。後ろのブースには、ワイン色のベロア調ソファー、スツール、ガラステーブルがワンセットだけ。5人も座れればいいほどの大きさだ。所々、痛んでいるようだが、暗がりであれば目に留まることもないだろう。キッチンからは、女が食事の仕度をしてくれているようで、揚げ物のぱちぱちとした音が聞こえている。ランチの案内が記された折り畳み式のサインボードがキッチン入口の収納棚に立てかけられていた。鰺フライが本日の日替わりランチだった。程なく女がトレー持ってキッチンから出てくる。

「ナイト営業だけじゃ、このご時世でしょ。なかなか厳しくてね。ランチも始めちゃったんだけど、なかなか要領がつかめなくてね。今日も余らしちゃったの」そう言いながら女は目の前にトレーを置いた。鰺のフライ、大盛りのご飯と味噌汁、さらに小鉢がひとつ。申し訳程度の漬物もある。みそ汁の湯気に忘れかけていた食欲が蘇る。

「いただきます」
漆田は食事に手を付ける。
女はカウンターの奥から箸を進めるこちらの顔をしげしげと眺めている。
「お味の方はどうかしら」
「うん。すごく美味しいです」 嘘はない。
「なら、良かった」
女はにこりと笑う。気の強そうな先ほどまでのイメージを覆すような愛らしい笑顔だ。ざっくりとしたブルーのセーターに首から下げるエプロンを着け、ウエストできつく結んでいる。襟首から鎖骨がのぞいて多少不格好だが、それも悪くない。

「あなた、どこから」女が聞く。
「東京です」
「一人旅?」
「ええ。一人旅といえばそうなんですが、実は、観光と言うより別の用件がありまして。数日、湯涌に滞在する予定なんです・・」
「ふうん。そうなんだ」女はそれ以上聞こうとしない。

「昼の遅い時間なのに店を開けさせるようなことになりまして本当に申し訳ありません。お姉さんはお食事はお済みでしょうか」
「実を言うと、私もまだ。丁度、店を閉めて、余りもので済ませようとしてたところだったの」女は照れを隠すように舌をのぞかせる。
「お姉さんさえ宜しかったらご一緒しませんか。夜の営業もお有りなら、、早めに切り上げて少しお休みになられたほうが・・」
「そうね。私のお腹もさっきからグーグー、鳴ってもいるし。。そうさせてもらおうかしら。ひとりで食べても味気ないものね」
「ひとり飯は慣れっこですけど、やはり一人よりは二人がいい」
「ということは、あなた、独身?」
「そういうことになりますね」

「あ、そうだ。ちょっとゆっくり食べててね。レンコンのきんぴらがあるから持ってきてあげる」
女はキッチンに小走りで戻ると、タッパーを手にして戻ってきた
「これも何かの縁よね。あたし、華。よろしく!多少、薹が立ってるけど、まだ爺さんたちには人気あんのよね」
華と名乗る女はそう言うとクスリと笑ってまた舌を見せた。


雷雪の如く 6.

 「湯涌温泉入口」というバス停留所の前に来た。横手には街の案内図が設置されている。道路を挟んで向かいにバスのロータリー。この停留所を起点に道が左右に分かれている。宿に戻るには左に行けばいいのだが、早々に帰館してもしようがない。漆田は右の通りに出ることにした。こちらの通りは奥に長く伸びており、道の両側には商店・飲食店の類と民家が交互に軒を連ねている。突き当りは「総湯」と称する公衆浴場だ。地元では温泉地の中心となる共同の浴場をこう呼ぶのだそうだ。

湯涌は金沢唯一の温泉地であり、観光と温泉を楽しみに全国各地から多くの人が訪れている。だが、今時の観光地においてしばしば見受けられる、とびっきり洒落た感じの店などはない。民家もあくまで民家のままで、ごく自然に この湯の町に溶け込んでおり、そこに何の衒いもない。言い換えれば、お洒落であればあればあるほど、そこには客の懐を目当てにする下世話な欲が透けて見えるし、逆に生活の匂いがする場所にはどこかしら人の情けに出会えるような、そんな気にさせる何かがある。湯涌はまさに人の匂いが漂う街だった。

 本通りを外れて路地に入った。すぐ先に軽トラが往き手を遮るように停まっている。運転席には誰もいない。車はアイドリングの状態である。横に目線を移すと、道の右際は数段下がっており、そこはホールのような空間になっていた。奥には黒っぽいドアがあり、右手には上の階に行ける階段がみえた。旅館の寮か賃貸マンションなのか。

軽トラの横をすり抜けようと一歩足を踏み出すと、ガランという大きな音ととともにドアが開き、尻をコチラに向けた大男が重そうなラックを抱えて出てきた。尻をこちらに向けていたのは、両手が塞がっているので尻を使ってドアを押し開いたからであり、また、大きな音がしたのはドアの開閉によって来客を知らせる拳大の鐘がドアの上部に付いているからだ。

「タケちゃん、ありがとね。今日のところはこれで十分だと思うんだ」
ドアの奥から女の声が聞こえた。
「それならいいんやけど。まあ、足りなくなったらいつでも連絡くれていいから」
「うん。わかった」

男は私の前を横切り、トラックの荷台にラックを積み込んでいる。黒のニット帽にグレーのレインジャケットを着たいかつい男だ。女はドアから顔だけ覗かせている。化粧っ気はなく、赤茶けた髪を後ろで束ねている。尖った顎と切れ長の目が印象的。

「それはそうと、タケちゃん。今晩、寄ってくれるんでしょ」
「ああ。気が向いたらな」男はそう言うと薄く笑って運転席に乗り込みギアを切り替える。
「気が向いたらって何よ-。必ず来てちょうだいねー」
男は片手を軽く上げただけで何も答えず去っていった。

車がいなくなると店の看板が目に入った。「スナック 波奈」 打ち放しの横壁に横書きの店名がフィックスされており、夜間にはライットアップされる仕組みとなっている。さしづめ、先程の軽トラの男は酒屋か乾物屋の御用聞きで、女はスナックのママというところか。ドアの方に振り返ると、女と目が合った。薄い唇にほのかに紅が差されている。首だけがドアから覗いているのは先程と変わらない。

「ちょっと、あんた。何見てるのよ!」 視線をそらさず女がくってかかる。
「え。私のことでしょうか」
「何とぼけたこと言ってんのよ。あんたしかいないじゃない」 確かにそうだ。
「温泉街を散策してましたら、お昼時を過ぎてしまいまして。どこかで腹ごしらえしようとお店を探してこの路地に。。」
「あ。そうなんだ。ちょ、ちょっと待ってて」
女は敵対モードを引っ込め、少し考えるようなそぶりをしたかと思うとドアの向こうに首を引っ込めた。

しばらくすると、また顔をドアからのぞかせ言う。
「鰺フライが残っているんだけど、どう?」
「よろしいのですか。お店はまだのようですが・・」
「さっき閉めたばかりなの、ランチタイム。ささ、どうぞ。遠慮しないで。お客様なんだから」
ドアの鐘の音とともに私は中に入る。耳元で響く鐘の音に心の臓が揺さぶられる。それはまるで終わりのないゲームの始まりを告げるゴングのようだった。

にほんブログ村 小説ブログ ノンジャンル小説へ
にほんブログ村




いつかのクリスマス・イブ

 玲子から電話があったのは午後の9時を少し過ぎた頃だった。高2の時から付き合っていた3つ年上の彼と大喧嘩し、たった今 別れてきたと言う。酷く落ち込んだ様子で このまま放っておいたら死んでしまうんじゃねーのか・・・ そんな心配が脳裏をかすめた。俺はダウンひとつ羽織って彼女の住むアパートへと原チャリを走らせた。

しかし、よりによってこんな日に喧嘩はないだろう。恋人同士であれば1年で最も大切にしたい日のはずではないか。今日はクリスマス・イブなのだ。どうせ玲子のことだから、あの歯に衣着せぬ物言いが終ぞ彼を怒らせてしまったに違いない。悪気は全くないのだろうけれど、彼女のあのストレートな性格は時々人に誤解を与えてしまうのだ。

幼馴染の俺と玲子は同い年だが、まるで弟に命令するかのようにこの俺を顎で遣ったりもする。そんな太々しさが玲子にはある。かと思えば、まるで無垢な少女のように純真な一面を垣間見せたりもする。本当に不思議な女だ。  

アパートに着いた。呼び鈴を押すが応答がない。ドアを引くと開いた。開けっ放しだ。不用心にも程がある。入るぞ!と一声かけて中に入った。足を踏み入れて俺は驚いた。整理整頓が苦手な俺だがこれ程まででない。小物や雑貨、ファッション誌に交じって足の踏み場もないほどに洋服、部屋着が脱ぎ捨てられている。

そしてその奥のベッドへ。そこには布団に包まり突っ伏している得体の知れない生き物が。。僅かながら呼吸をしているようだが、死んでるようにもみえる。辛うじて見えてる床の部分を渡り歩き、べッドに近づき、声を掛けた。

「おい。玲子。大丈夫かよ!お前らしくねーな。慰めに来てやったからさ。さあ、起きてこいよ」
大丈夫な筈ないな、とは思いつつも、俺はその塊に続けて言葉を掛けた。

「酒が強えーお前に。いつも飲んでる安酒!持ってきたからな。ワインもあるぞ。ほら、起きろ!」
俺は担いできたバックパックから酒の瓶を取りだし、両手でカチカチ鳴らしてみせた。反応はない。今度は背中を揺すってみたが、ウンともスンとも言わない。まるで蚕だ。

にっちもさっちも行かなくなった俺はひとり、持ってきたウイスキーを飲み始めた。考えてみれば情けない話である。仕事帰りに同僚を飲みに誘うも「今日は・・・ダメ」と軒並み断られ、それでもひとり、コンビニ弁当を肴にイブの夜をお祝いしようと ビールの封を切った、、その直後、、、恨めしき電話の音!こうして今、俺はここにいて、、挙句の果ては物言わぬ塊との我慢比べだ。我慢比べならまだしも傍からすると傷の舐めあい?そう取られかねない状況ではないか。

「だから、いつも言ってたろ!女王様気取りの我儘女を好きになってくれるような物好きはそうそういないって。全てを包んでやれる、まぁ、俺みたいな包容力のある男にしか相手に出来やしないのさ、お前みたいな女は」
いつか玲子に言ったこんな言葉にも「私を口説いてるつもり?」と、あの時も彼女はからかうようにそう言って ケラケラ笑ってたっけ。

いつしかウイスキーのボトルは空になり、次はワインを開封しようとオープナーを探し始める。簡単に見つけることができたから決して運は悪くない。冷蔵庫を開けると御誂えのブルーチーズがあるではないか。さてさて、夜は長いぞ。ひとりパーティーの再開といきますかー

それはそうと、人に散々心配させといてこんな仕打ちで迎える玲子にも無性にムカつくが、その彼なる男にはどうにも腹が立つ。「イブ」は特別な日ではないのか。たとえ少しばかり口論になったとしても普通なら矛を納めその場をやり過ごす、それが言わば大人の男のやることだ。いつか会ったら絶対一言言ってやる・・・・・・・・・・・・・・



 どれだけの時間が過ぎたのだろうか。鳥のさえずりが朝の訪れを知らせている。朝の陽光が窓から入り込みテーブルに伏せっている俺の横顔を照らし始める。美しいさえずりの音色とは裏腹に、俺の脳内では無数のカラスがガーガーと喚き散らしている。そして、俺の蝸牛管を引きちぎらんばかりに啄んでいる。目がグルグル回る。あー、無茶苦茶、気持ち悪い。頭が割れるほど痛たい。何度かトイレに駆け込んだようだがどうにも記憶が曖昧だ。とにかくもう少しこのまま静かにいるしかない。

一瞬、ちらっと陽射しを遮る影が動いた。そういえば、先ほどはドライヤーの音もしていたような。あ、そうか、怜子だ。瞼が重くて目は開かない。が、気配で分かる。玲子が傍にきた。触れ合う距離にきてくれた。心配してくれているのだ。そして、ついに彼女の手を背中に感じた。そしてその手は優しく、あくまで優しく、俺の背中を擦りはじめた。

あ、あ・・やっぱり素敵で優しい女性なんだよなぁ 玲子は。

「お前。一体、何しに来たんだよ。トイレ、しっかり掃除して帰ってよね。あんたのゲロですっごい事になってるんだから!」
やっぱり玲子は玲子である。僅かながらの切なさを秘めた安堵の吐息が吐き気とともに上がってきた。

「あ、ブルーチーズのお代、忘れずおいといてね。わたし今から出かけるから」
遠くでダメ押しの声がした。

雷雪の如く 5.

 姉の部屋を出ると空は一段と高くなっていた。コンクリートの路面が明るく照らされている。漆田は徒歩で帰途すると村井に伝えた。街なかを歩いてみようと思ったのだ。街なかとは言っても、バスのロータリーを中心にその周辺に地元の商店や土産物を取り扱う店が数店あるだけである。倉西の話によると、姉は歩いて宿に通っていたらしい。車を所有していた形跡もない。ならば、生活していくうえでの姉の行動範囲もそれなりに狭いはず。であれば、そこで知り得る姉に関する情報はより濃密になろう。街中を歩いてみることも決して無駄にはなるまい。村井は少し意外な顔をしたが、それ以上何も言わず、自分の携帯番号のメモ書きを手渡し去っていった。

 アパートの各室を訪ねようと決めていた。村井を帰らせたのはひとりで訪ねようと思ったからだ。村井が同行することは当然躊躇せざるを得なかった。不意の訪問だ。万一、訝しがる住人がいれば大家である村井が矢面に立たざるを得ない。それは避けたい。後々のことも考え、村井には何も話さなかった。

隣の1号室から順々に全ての部屋を訪ね歩いた。上階の2室以外はチャイムを押しても全て応答なし。応対に出た2室の住人はいずれも別の旅館の仲居係だ。お昼休みを邪魔されて多少不機嫌ではあったが、真摯な態度に応対を拒否することはなかった。しかし、残念ながら彼女達からは特段、気になる情報は得られなかった。部屋を借りているほとんの者が数軒ある旅館のいずれかに従事している。だとすれば、彼らの勤務時間はまちまちで、日勤もあれば夜勤もある。今週末は旅館も忙しいはずであり、自室でのんびりしている者は少ないのかもしれない。私は、情報があれば提供してほしい旨の内容を記したメモを不在だった全ての部屋のドアに挟んでおいた。

 腕時計の針は午後の1時を少し回っていた。私はアパートを離れ、街の中心へと歩き出した。自らの湿った足音だけが耳に入ってくる。姉は毎日、どんな思いを抱いてこの道を歩き、仕事場に通っていたのだろうか。宿まで近いとは言っても女の足では10分は優にかかる。雪の日にはその倍の時間を有するだろう。そもそも、どうして姉はこの地で暮らし始めたか。確かに水は美味しく湯も素晴らしい。静かに暮らしてゆく分にはこれ以上ないかもしれない。しかし、果たしてそれだけだろうか。姉には親しい男がいたと村井は語った。男の存在が事実ならば、この地に姉を連れてきたのはその男ではないのか・・・

漆田の想像は徐々に確信へと固まりつつあった。



にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 金沢情報へ
     
人気ブログランキングへ

雷雪の如く 4.

 姉は依然と姿をみせていない、そう倉西は言っていた。笑顔で迎えてくれるかもしれないという、宿に着くまでの淡い期待はものの見事に打ち砕かれた。しかしながら、悲嘆に暮れている暇は漆田にはない。

 早速、姉が住んでいたアパートの大家に連絡を入れる。「村井アパート」。横文字が横行する今時にしては珍しい名が付いていた。多分、村井さんのアパートだから村井アパートなのだ。電話をかけると直ぐに繋がった。やはり大家の姓は村井。電話の向こうはしわがれ声。大家はかなり歳を食っているようだ。

私は自分の素性を明かし姉の話を聞きたいと申し出た。村井がその申し出をすぐさま快諾したところをみると何の疑念も抱いてはいない。電話で少しばかり話をしたが、この村井という男、相当、姉のことを心配しているようだ。よほど付き合いが深かったのか、村井には姉が必ず戻ってくると信じているようなところさえある。村井は未だに姉との賃貸契約を継続したままにしてくれていた。とは言え、契約者本人の所在が確認されないままこれ以上引き延ばしておくわけにもいかず、年を越えても連絡がない場合は契約不履行という形で処理せざるを得ないと村井は話した。

私は姉が残した未払い分の家賃と今月以降の3ケ月分を前払いすることを村井に告げた。姉に戻って貰いたいと願う気持ちは村井の比ではないし、万が一、事が長引いたとしてもここを塒(ねぐら)に姉の捜索を続行できると考えた。事情が事情なだけに弟だと証明できればそれほど難しい話ではないはずだ。

姉の部屋を見たいと村井に伝えると、村井は今すぐでも問題ないと答えた。部屋の借主の弟だと名乗る男が突然現れ、所在の分らぬままになっている姉の部屋代の未払い分まで払おうと言っているのだ。村井にとってもこんな有難い話はないだろう。

気を良くしたのか、村井は宿まで迎えに来るという。ここから姉のアパートまではそう遠くはなく、現地で落ち合うこともできるが、昨夜の積雪が所々残っており、足元は決して良好とはいえない。漆田は村井の好意を受けることにした。

 村井は矍鑠(かくしゃく)とした老人だった。腰は曲がっているが浅黒い顔と細身の体は健康そのもの。村井に促されるままに迎えのミニバンの助手席に乗り込んだ。村井が話を切り出す。

「漆田さん。景子さんなら、よおく知ってるわい。噂じゃ、夜逃げでもしたんじゃなかろうかと言われとるらしいが、わしゃ信じてはおらんのや。ちょこっと旅行するにしてもこっちにはちゃんと連絡をいれるホンマに律儀な娘やったからな。お土産も忘れることはない。いつも必ず手渡してくれるんや。そんな娘がわしら夫婦にな~んも言わんと出ていくなんて絶対ありはしないと思っとるがです」
「姉らしいですね」
「お家賃にしても滞ることなんて今まで一度もありゃせん。美しい娘じゃったから言い寄る男はいたじゃろうがな。しかし、こん度、珍しく家賃が支払われてなかったもので、どうしたものかと思ってた矢先のことや。くらにしの社長さんから電話があって彼女の安否を確認したいと言いよるんや。それで、駐在さんに来てもらって彼女の部屋を開けたんやわ。そのあとは聞いておるやろ。わしもその時は自分の目を疑った。雪ちゃんに何の事情があったんやろ。そんでも、わしゃ、今でも彼女がひょっこり戻ってくるんやなかろうかと思っとるがです」

「こちらに来て初めて頑張っていた姉の気持ちに触れることが出来ました。村井さん。有難うございます」
「家賃なんていつでもええって言うとったんやがの」
村井の言葉に姉の優しい面影がまた蘇る。姉はこの地でも周囲の人達に対して心配りを忘れずひとり懸命に生きていたのだ。

「彼女が湯涌に越してくる時もわしが応対したんやがな。くらにしさんから歩いてもそう遠くないからここがいいとわしらのアパートに決めてくれたんじゃがな。キレイなのに家賃も高くないとそれはもう喜んでくれたがや。浅川村の下田不動産のおっちゃんも一緒やったが、えらいベッピンさんやったんで、わしも舞い上がってしもての」

 村井は話を中断して車を路肩に寄せる。
「これがそのアパート。2号室が雪ちゃんの部屋や」
村井が視線の先には箱型の建物。私たちは車を降りる。

上下階合わせて8室ほど木造のアパートだった。建物の中間に階段が設けられている。古くはないが、そう新しくもない。外装は塗装されて間もないようだ。建物の正面は舗装され、駐車スペースとして4台ばかり停められるようになっていた。周囲には民家が並び、遊具のある公園も遠くに小さく見える。住宅街に来ているらしい。


村井は2号室の前で立ち止まり、小窓を隔てて中を窺った。
「まだ帰ってないようだが」
ノックをしても応答がない。村井は自前の鍵を使って先に室内に入った。しばらく、中の様子を窺っていた村井だが、誰もいないことがわかると私を中に招き入れた。どの部屋もなかは空っぽだったが、カーテンはそのまま残っており、いつでも戻れる状態だ。ダイニングのカーテンを開けると日が差し込んできた。落葉で埋め尽くされた隣家の庭が見える。融け残った雪溜まりが光を放っている。日当たりもそう悪くはない。

2DK、全て部屋を覗いた後、村井がまたぽつりと言う。
「やはり雪ちゃんが戻った気配はない」
「姉はここでひとり生活していたのですね」 私が尋ねた。
「二人で暮らしていたという話は聞いてないんや。もしそうなら隣の住人にも解るやろし、あれだけキレイな娘やからすぐに噂になっとるはずや。静香もそれは否定していたな」

「静香さんをご存じですか」
「あ、村の娘なもんでな。噂はよおく聞くけんど、話したことはなかったがです。あの日、静香は女将とここに来て雪ちゃんの姿がないことにかなりショックを受けていたようなんで、この娘が何かの事情を知っているものと思ってな。それとなく聞いてみたんだが・・・ その時が初めてや」
「静香さんは湯涌を出て行ったと聞いておりますが、そのことはご存知でしたか?」
「ええ。聞いとります。でも、またすぐに戻ってくるのと違いますかな。前にも同じようなことがあったと聞いとりますから」
村井は、静香は男にだらしなく、いつも男に熱を上げては捨てられる、そんな恋愛を繰り返すばかりで、今回もまた、ご多聞に漏れず、誰もが忘れた頃にまたこの村に舞い戻ってくるのだろうと考えている。誰かに吹き込まれているのかもしれない。ここはあえて話を変えよう。

「先程、姉が湯涌に越してきたときもお世話くださったとお聞きしましたが」
「ああ、下田のおっさんが同行していた時の事やね。。そういえば、あの時、おっさん以外にもうひとり男がいたような・・・」
村井は戸締りをする手を止め、遠い過去の記憶を辿ろうと考え込んだ。
「男ですか」
「おっさんはひとりで動くから・・下田んとこはおっさん以外に店番のかみさんがいるだけやし。ということは、雪ちゃんの連れだったのかいな。。なんせ、随分と前のことなんでなー、あんた様ではなかったのかいな」
「も、もちろん、私ではありません」
「そうそう。。雪ちゃんと仲良さげにおしゃべりしてたような。。」
「年の頃は?どんな身なりでしたか?どんな些細なことでも結構です。思い出すことの全てを教えてください」
話の中に突如現れた男に一瞬、我を忘れて前のめりになってしまう
「雪ちゃんと変わらぬ年頃でなかったかと。。背が高くてね。あんた様みたいに垢抜けた都会の匂いのする男やったかな」

その男は姉の恋人なのだろうか。それともただの知り合いなのか。美しい姉だ。男がいてもなんら不思議はない。その男が恋人であるならその彼は今どこにいるのか。姉とともにどこか遠くに行ってしまったのか。ブラウス姿の姉が脳裏に浮かんだ。襟元から露出する姉の透き通るような白い肌が眩しい。そして、今度はその姉と肩を寄せ合うように佇む男の姿が焦点を結んだ。だが、その男に顔はない。

針を刺すような胸の痛みが漆田を襲っていた。