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シェイクスピアと日本の演劇界 

井上ひさしの戯曲に「天保一二年のシェイクスピア」がある。そのなかにはこんな歌が出てくる。「シェイクスピアは米櫃 飯の種 あの人がいる限り 飢えはしない ~ シェイクスピアはノースペア あの方には身代わりはいないのさ」

シェイクスピアに頼りきる日本の演劇界をからかったものだが、その後40年余それでも尚、シェイクスピア劇は演出家と称する者たちの手によって数多上演されてきた。劇作家の福田恒存氏の訳文は格調高く、あの劇団四季でもよく使われた。70年代では、英文学者であり演劇評論家の小田島雄志氏は現代的な訳文で大いにもてはやされた。こうした翻訳における歴史の変遷も常に劇を新鮮なものにした。

70年代、演出家・出口典夫氏はその小田島訳を使って彼の主宰する劇団「シェイクスピアシアター」がシェイクスピア全戯曲37本を完全上演する。それはロックバンドの生演奏ありというラフなスタイルの演出で、そんなアングラ的演出は当時の愛好家を魅了した。渋谷のジャンジャンに通い詰めた芝居好きも少なくはないだろう。氏の演出手法は当時の演劇界に一石を投じたわけだ。今も夢多き若手俳優が氏のもとで日々研鑽を積んでいるが、この一石は、中世ヨーロッパの世界観という我々にとってどこか遠くて見知らぬものをぐっと身近なものに引き寄せた。

こうしたシェイクスピア観の変化は上演スタイルまで様変わりさせた。本場の英国の伝統に則った模倣スタイルの演出からの脱却を図ろうとする試み、言い換えるなら日本の美意識や歴史観に基づく独自の解釈で 世界に通用する日本的、アジア的なシェイクスピアを作ろうとする動きである。以後、それが80年代の潮流となる。その先便をつけたというか、代表的な演出家が先日亡くなった蜷川幸雄である。

舞台を日本の安土桃山時代に移した「NINAGAWAマクベス」の視覚性は本場英国の顧客を圧倒。以後、ニナガワ演出は作品を変えて海を渡る。蜷川幸雄が世界のニナガワと呼ばれる由縁だが、そこには常にシェイクスピアという存在があったのである。

蜷川氏は1998年、彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピアの全戯曲を上演する計画を立ち上げた。そして今日まで、名だたる俳優陣とタッグを組み、また次代を担う若手俳優を育ててきた。シリーズの訳文は主に松岡和子。フェミニズムを踏まえた現代的な訳である。演出と訳文は切り離せない。その両輪が戯曲にのった時、演技を含めた全ての才能が極限までに高められる。その可能性を大いに秘めているのがシェイクスピアの戯曲であり、多くの演出家はそのことを知っている。

創意に富む躍動的な演出で名を馳せた蜷川氏、シリーズの全戯曲上演を目前にしていたが、残念でしかたない。 哀悼 蜷川幸雄

 


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