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首を切られたお地蔵さん

謙信のもとに足利義昭から上洛を急げとの密書が届く。北条氏政が関東より進軍してきたこともあり、一度は春日山へと撤退を余儀なくされたが、こうなれば、三度、あの難攻不落の七尾城を攻め落とさねばならない__ 

謙信は反転を決意するや、いともあっさりと七尾城を陥落させてしまう。

当時、七尾城主の畠山春王丸は傀儡国主であり、本当の実権はその重臣である長続連が握っていた。続連は信長の援軍を頼みに春王丸が疫病で倒れた後も取り囲んでいた上杉軍に城を明け渡しはしなかった。そこで謙信は、続連との対立関係にある敵方、遊佐続光らを動かし反乱を起こさせたのだ。

七尾城は越後へと続く兵站線を確保するためにも大変重要な拠点。その城を奪い取った謙信はさらに南進する。そんななか、信長は七尾城に籠城しているであろう長続連に柴田勝家を総大将とする3万の援軍を送り込んだ。信長には七尾城陥落の報せは届いていなかったのだ。織田の軍勢は北の庄で集結するももはや時すでに遅く、さらに一向一揆の勢力に阻まれて行軍が儘ならない。一方、幸先よく七尾城を陥落せしめた謙信は、あっという間に松任城にまでたどり着く。

その後、両軍は手取川を挟んで対峙。大合戦が始まると思いきや、勝家は、謙信がすでに松任城にまで着陣していることを知り、形勢不利とみてやむなく撤退の道を選ぶのだった。

こうして手取の河川敷にも「毘沙門天」の幟旗が大きくはためくことになった。

首切り地蔵 

さて、常勝軍団率いる謙信はここ直海(ノオミ)の地で足跡をひとつ残している。天正5年、七尾城を陥落せしめた直後の物語だが、勇ましい謙信の姿はいつしか逸話として語られるようになった。

謙信が七尾城攻略の余勢をかって釈迦堂を焼き払おうと直海と呼ばれる緑豊かな集落に通りかかったときのことである。謙信の馬が突如足を止め、押そうが引こうが全く動かなくなってしまう。風の仕業でもなく、馬が疲れているわけでもない。それは奇々怪々、全く説明のつかない現象だった。

「これは一体どうしたというのか?」
ふと重苦しい空気を肌で感じた謙信は
「妖なるものの仕業なればその正体を見極めるべし」と家臣達に探索を命じる。

ほどなく一人の家臣が道畑の草木の影にひっそり佇む地蔵を見つける。 
「 怪しげにもにこにこ笑っておるではないか!」
確認に入った重臣は驚いた様子で声を上げると謙信に報告。

謙信はその地蔵の泰然とした笑みを見遣るとすぐさま歩み寄り
「毘沙門天の行手を阻むは笑止千万」と太刀を一閃、地蔵の首めがけ袈裟懸けに切りつける。

転がる地蔵の首。一同、息を呑む。
するとどうだろう。足を止めていた馬は、足枷を解かれたようにまた歩き出したのだ。

その後の上杉軍の勢いは止まらず、手取川の戦いへと続いていくのである。しかし、ほどなく謙信は「病」という思わぬ敵の前に倒れてしまう。

直海の田畑の実りを見守ってきた地蔵に村人達の思いが移り、そうさせたのかも知れない。事の真偽、諸説はいろいろあるだろうが、詮索する気はない。

 直海の田園風景 

ただ、直海の一面に拡がる田園にぽつりと、その一画を占めるこんもりとした樹木。その下の祠に鎮座する地蔵を拝むと不思議な風が木々の葉を揺らし、心が少し洗われたような気がした。

注:この言い伝えは石碑に記されている通りですが、上記の物語は多少創作を加えた次第です。ご了承ください!それにしても、あの「となりのトトロ」でトトロとメイが出会った場所に何か似ている気がします(n‘∀‘)η 

場所:志賀町 上熊野小より直海方面へ車で10分



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