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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ 【HALE OLA HOKULANI E KOMO MAI】
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おひなさまは美しい

3月3日、または3月の初めの巳の日に水辺で災厄を払う中国の風習が伝わったのがひな祭りの原点といわれる。人の穢れをうつした人形が流される風景は「源氏物語」、「枕草子」にも出てくるのだが、その災厄を祓う人形はいつしか女の子の玩具となり、子供の成長を願う桃の節供となった。

この季節、段飾りの雛人形をよく目にする。どれもこれもとても精緻に作られており目を見張るばかりだ。子供のおもちゃや衣装を着せつける道具として発展してきた欧米における人形づくりとは異なり、日本では、雛人形、市松人形等々 とても精緻であり、また文化的にも重宝されながら発展し今日がある。

薄暗い和室にポツンと和人形が置かれていたりなんぞすれば、小生、そのあまりの精緻さにおしっこに行けなくなるくらい怖いこともある。美しさと怖さは相補的なものであるから、パンツを濡らすまでもなく人形は美しい。嵯峨人形、加茂人形、御所人形 ・・・

雛人形にも、お公家さん仕様の有職雛から写実的で豪華な古吟雛まで、其々に特長があって怖いほど面白い。このような日本の伝統的な創作魂は現在へと引き継がれている。形を変えず保存されてゆくものの多いなか、人形作りに新しい風を吹き込む作家もいる。

かつて経営していた店舗のピロティに友永詔三先生の作品を飾ったこともある。妖艶な人魚像は多くの客人の眼を奪った。個人的には、最近ならば、四谷シモンの創作動向が気になるところだ。

若い頃には、「実験人形ダミーオスカー」を漫画喫茶なんぞでこっそり隠れ読みもしたが、(;^_^A 
象だけのものに命を吹き込むなんてまさに神業。人形が美しいのはひとが神の技を真似ているからなのか。。

蛇足はこの辺にして、まー、そのうち、雛人形もいろんなバリエーションが出てくるのではないだろうか。古典的な従来の枠にはまらないお雛様がもっとあってもいいと思う。

つまらぬ過去のコラムもどうぞ。

あな、おそろしや → クリックしてね。

/// 追記

* 今朝 (この記事をアップした翌日)、NHKのチコちゃんに教えられたんだけど、多少、このコラムに認識不足があったみたい。その点だけお含みおきいただきお読みください。3年も前のブログ記事だから許してね!



 

紅葉の季節_ なので

先頃、熱海市を代表する観光スポット「貫一とお宮の像」に暴力を肯定するものではないという主旨のプレートが設置された。その像は、明治の文豪、尾崎紅葉の「金色夜叉」の名シーンを写したものだ。貧乏学生の貫一が「来年の今月今夜、この月を僕の涙で曇らせてみせる」と言って、お金持ちの家に嫁入りするお宮を足蹴にする場面はあまりに有名。

市によると、建立当時からも様々な方面から「女性蔑視」の像だとの意見があったらしいが、東京オリンピックを4年後に控え、また海外からの旅行者が増えつつあるここにきて、ある女性の大学教授から強い抗議文が市長宛に届いたらしい。それがきっかけとなり協議が再開され、ついにはこのようなプレートが設置されることになったとのこと。そのプレートには外国人観光客の誤解を招かぬよう日本語だけでなく同意の英文が表記されているらしい。

確かに女性を蹴りつける男性の姿は見る者に強烈な印象を与える。海外旅行者が急増している昨今、何も知らない外国人観光客がこの像を観て、不快に感じることもあるだろう。しかし、この像は、「金色夜叉」という作品のなかに都心からも程近い休養地である熱海が登場し、そのお蔭で熱海の浴客が増加、財政的にも潤うようになった。そのため、熱海の象徴として中心地に建立されただけではないのか。尾崎紅葉への、そして銅像作者への敬意が感じられない措置に対して多少不満はあるものの、誤解への危惧があるというのだからプレート設置については致し方ないのかもしれないが。。

しかし、これを取り上げたテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」には驚いた。コメンテーターの玉川徹氏は、「『日本も100年前は男性がこうやって女性に暴力を振るうような国でした』って入れればいいんじゃないですか」と語り、日本在住54年のC・W・ニコル氏のコメントとして、「男性が女性を蹴ることは許せない。たとえ、文学作品の一部だとしても許せない。撤去したほうがいい」という極端な意見まで伝えていたという。意見は様々あっていいとは思うが、外国人観光客に対してそこまで阿る必要があるのかという気がするし、まずは、銅像が建てられた経緯や理由を知ってもらう手立ての方が先だろうという気がする。芸術作品はその国の歴史、文化を象徴するもの。現代の価値観から見て、それが適切とは言い切れない場合でも一定の評価をする必要があるのではないのかな。それでなければ芸術は後世に残せないと思うのだ。

この一件で、取材を受けたボランティアガイド、リチャード田中さんはこう答えている。

「像に立ち寄る外国人観光客は台湾や中国からのお客さんがほとんどです。像の説明をすると皆さん納得されますし、ポーズを真似て記念写真を撮ることも多い。カップルの場合、だいたい8割は女性が男性を足蹴にしています(笑)。問題視した人は今まで誰もいません。(プレート設置を取り上げた)番組は見ていませんが、実情も知らずに無責任なことを言っていたんじゃないでしょうか」

この騒動を取材したフリーライター清水氏はこう記事にまとめている。「外国人ならこう思うに違いない」と勝手に忖度した日本人が騒ぐという、よくある構図が透けて見えると_ なるほどね。



この一件で、リチャード田中さんの語り口は変わってゆくのかな。

    (ライブドアニュースより一部引用)

SMAP、大・・

スマップの解散まで残すところ2カ月。グループへの思いを綴ったファンからのメッセージが東京新聞はじめ地方紙の紙面の広告欄に大量に掲載され、話題となった。「SMAP、大好き!!大どんでん返し待ってます」「5人の笑顔が大好き!5人を守りましょう」!坂上忍がMCを担当する「バイキング」にもその話題が取り上げられた。

しかし、どのコメンテーターのどのコメントにもこの騒動、というか珍事に対し、否定的な見解を述べるものはなく、「彼らが解散を決定したのだから解散するまでそっと見守ってあげてはどうか」などという、かなりトーンを落とした意見を紹介するに留めていたのだ。確かに、芸能人にとっては「解散しようがしまいがどうでもよい」などと言おうものなら炎上必至だろうし、タレント生命が危ぶまれるほどの致命傷となりかねない。

スマップなんか歌も決して上手くないし大嫌いだ!」なんてこの俺も決して言えない。タレントという人気商売ならずとも、「スマップ、大大好き!」と言えば、商売的にも◎だろうし、反対に、「スマップ??いいんじゃね・・」くらいのニュアンスであっても、もしかするとアウトどころかゲッツー食らうくらいの痛手を負うのかもしれない。でも、敢えて言う。「スマップは嫌いでないけど、そんなに好きというわけでなく、その理由もそのなかのメンバーのひとりが昔から嫌いで、例の一件がそんな俺の気持ちに追い打ちをかけた」というのが実のところ、今の俺の心情。

「SMAP」を卒業して歌でやっていけるメンバーはいないんだからそれほどまでに「SMAP」に固執する必要あるの?とチョットだけ言いたい気持ちもある。ジャニーズを卒業しても「ONE OK ROCK」のタカには決してなれないはずだから。タカは歌もどえりゃうみゃーし、俺ならワンオクを応援するのだわ_ とでもいったらば、路地裏で袋叩きにされる予感もある。それにしても、あれだけ世界でも評価が高いのに日本のマスコミ、スルーっぽい。誰に遠慮してるのかね。「ライオンハート」、また壮絶に売れているってよ。スマップファン、踊らされて、結局、ほくそ笑んでるのは誰よ。

といいながら 俺も買いに行こ! SMAP、大・・・好き。

 

隣におられる方がいみじくもおっしゃいました。 「日本国民を敵に回したらあかんやろ!」



石川県森林公園 バードたち



セミの声に誘われてやってきたのは津幡に県の森林公園。大人になっても自然のなかで遊んだ記憶は不思議と忘れることはない。小学生の頃、夏の放課後、学校の帰り、裏山の道を選んで帰宅していた。クヌギ林に分け入りクワガタやカブト虫を採集しながらの下校が何よりの楽しみだった。夏の終わり頃には、空気穴を空けたブリキ箱の中はクワガタ虫でいっぱいになった。懐かしい思い出だ。「懐かしい」とはかなりぞんざいな物言いで、虫にとってはかなり劣悪な環境だったと顧ることしきり。



ここはそんな意味で童心に戻れるような場所 ー
森のレストランでうどんをいただいた。 美味しそうなピザもあった。





虫捕りもさることながらバードウオッチングも面白い。

日本で見られる野鳥は約600種。全部、紹介するのは無理だが、代表的なこの20種類は覚えておきたい。お家の近くの公園や緑地を歩くだけでも新しい楽しみが増えることだろう。嬉しいことに、金沢には河畔や緑地が数多ある。

メジロ ・・・ 「チーッ」という鋭く聞こえる声で鳴き合ったり、「チュルチュル」と複雑な節回しでよくさえずる。頭から尾まで黄緑色。名前のように目のまわりの白いリングが目印。

ムクドリ ・・・ スズメとハトの間の大きさ。全体的に黒っぽい。くちばしと脚がオレンジ色。「ギュル」と鳴き、飛び立つと尾先の白色が良く目立つ。

コゲラ ・・・ スズメくらいの大きさのキツツキの仲間。黒と白の横縞模様が目印。

シジュウガラ ・・・ 「ツピー、ツピー」と澄んだ声で鳴く。頭が黒、頬が白でコントラストがはっきりしている。喉からお腹にある黒いネクタイのような模様が目印。

ヒヨドリ ・・・ スズメより大きく尾が長い。「ピーヨ、ピーヨ」と鳴く。全体に灰色がかった茶色。頬に赤茶の斑点がある。

ハシブトガラス ・・・「カアカア」と澄んだ声でなく。くちばしが太いのでハシブト。ちなみに、ハシボソは「があがあ」と鳴き、草原や農地でよく見かける。

アカゲラ ・・・ ハトをスマートにしたくらいの大きさ。「キョ、キョ」といい声。春には「トロロロ」と木を叩く。キツツキの仲間。白と黒のはっきりとした模様、頭やお尻の赤が目立っている。

アカハラ ・・・ 初夏の森で夜明け前に「キョロン、キョロン、チリリ」とはっきりした声でさえずる。ムクドリくらいの大きさで背中が褐色で地味だが、胸からお腹がレンガ色をしている。

ヒガラ ・・・「ツピー、ツピー」と高い声。頭が黒くお腹が白とはっきりとした模様。短い冠羽がある。

ウグイス ・・・ 「ホーホケキョ」でお馴染みのさえずり。地味は褐色。

オオルリ ・・・沢沿いの木のてっぺんで、朗々とさえずる姿でみつける。オスはコバルトブルー。顔が黒くお腹が白と大変美しい。メスは褐色で地味。

池や川ではよく見かけるのは・・・

オオバン・・・カモのような形をしているが、ツルに近い仲間。みすかきではなく足指が一本一本葉のように平たい(弁足という)。全体に黒く、くちばしが白いので良く目立つ。

カワセミ・・・「ツーッ」と鳴き、水面を飛んでいく姿、水面に垂れ込めた枝にじっととまっている姿でみつける。くちばしが大きく、尾が短い特有の体型で、スズメくらいの大きさ。背中のコバルト色や緑色、お腹のレンガ色と鮮やかな配色なので、迷うことはない。

コサギ・・・シラサギという名の鳥はいない。コサギ、チュウサギ、ダイサギなど。脚が黒く、指が靴下を履いたように黄色い。頭に冠羽がある。

アオサギ・・・ サギのなかでいちばん大きい。背中や翼が濃く、お腹が淡い灰色。黒い冠羽がある。



ついでに、海の鳥も紹介しておく。

セグロカモメ ・・・ カラスより大きく、頭からお腹は白、背中と翼は灰色をしている。脚がピンク色だ。また尾先が黒い。

ウミネコ ・・・ 猫のような声で鳴き合う。白い身体に翼が灰色で翼の先が黒い。

キアシシギ ・・・ ハトくらいのシギの仲間。「ピューイ」とよく響く声で鳴く。頭から背中は褐色で地味。脚が黄色い。

ウミウ ・・・ カラスより大きく、鋭いくちばし、スマートな体型をしている。全体に黒い。背中の羽には緑色の縁取りがある。成鳥は白い頬をしているので目立つ。若鳥は褐色。

イソヒヨドリ ・・・ 雄は頭、背中、翼が青、胸からお腹がレンガ色。きれいな配色だが、メスは褐色で地味、胸に鱗模様がある。



初心者でも道具だけは性能にこだわりたい。スワロフスキーはバーダー垂涎のブランド品だ。

  

光学設計が優れているスワロフスキー。ニコンではモナークシリーズが人気だ。バーダー三種の神器は、双眼鏡、野鳥図鑑、メモ帳。野鳥は小さくて動きが速い。そのため、写真を撮るためには300mm以上の望遠レンズが必要だ。望遠鏡とデジカメを組み合わせたデジスコで撮ってもいい。野鳥は追えば逃げる。彼らには生活があり、こちらの思惑どおりに動いてくれるわけはない。そのつもりで野鳥に接しないと驚かすばかりで、野鳥にとっては迷惑になってしまう。野鳥の気持ちを解るようになると近づいてくることもあり、よりバードウオッチングを楽しめるようになる。


シェイクスピアと日本の演劇界 

井上ひさしの戯曲に「天保一二年のシェイクスピア」がある。そのなかにはこんな歌が出てくる。「シェイクスピアは米櫃 飯の種 あの人がいる限り 飢えはしない ~ シェイクスピアはノースペア あの方には身代わりはいないのさ」

シェイクスピアに頼りきる日本の演劇界をからかったものだが、その後40年余それでも尚、シェイクスピア劇は演出家と称する者たちの手によって数多上演されてきた。劇作家の福田恒存氏の訳文は格調高く、あの劇団四季でもよく使われた。70年代では、英文学者であり演劇評論家の小田島雄志氏は現代的な訳文で大いにもてはやされた。こうした翻訳における歴史の変遷も常に劇を新鮮なものにした。

70年代、演出家・出口典夫氏はその小田島訳を使って彼の主宰する劇団「シェイクスピアシアター」がシェイクスピア全戯曲37本を完全上演する。それはロックバンドの生演奏ありというラフなスタイルの演出で、そんなアングラ的演出は当時の愛好家を魅了した。渋谷のジャンジャンに通い詰めた芝居好きも少なくはないだろう。氏の演出手法は当時の演劇界に一石を投じたわけだ。今も夢多き若手俳優が氏のもとで日々研鑽を積んでいるが、この一石は、中世ヨーロッパの世界観という我々にとってどこか遠くて見知らぬものをぐっと身近なものに引き寄せた。

こうしたシェイクスピア観の変化は上演スタイルまで様変わりさせた。本場の英国の伝統に則った模倣スタイルの演出からの脱却を図ろうとする試み、言い換えるなら日本の美意識や歴史観に基づく独自の解釈で 世界に通用する日本的、アジア的なシェイクスピアを作ろうとする動きである。以後、それが80年代の潮流となる。その先便をつけたというか、代表的な演出家が先日亡くなった蜷川幸雄である。

舞台を日本の安土桃山時代に移した「NINAGAWAマクベス」の視覚性は本場英国の顧客を圧倒。以後、ニナガワ演出は作品を変えて海を渡る。蜷川幸雄が世界のニナガワと呼ばれる由縁だが、そこには常にシェイクスピアという存在があったのである。

蜷川氏は1998年、彩の国さいたま芸術劇場でシェイクスピアの全戯曲を上演する計画を立ち上げた。そして今日まで、名だたる俳優陣とタッグを組み、また次代を担う若手俳優を育ててきた。シリーズの訳文は主に松岡和子。フェミニズムを踏まえた現代的な訳である。演出と訳文は切り離せない。その両輪が戯曲にのった時、演技を含めた全ての才能が極限までに高められる。その可能性を大いに秘めているのがシェイクスピアの戯曲であり、多くの演出家はそのことを知っている。

創意に富む躍動的な演出で名を馳せた蜷川氏、シリーズの全戯曲上演を目前にしていたが、残念でしかたない。 哀悼 蜷川幸雄