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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ 【HALE OLA HOKULANI E KOMO MAI】
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雷雪の如く 2.

 「お目覚めでしょうか」 
襖の向こうから女の声がした。
「あ、どうぞお入りください」 声の主に入室を促す。
立膝で入ってきたのは大柄で気の良さそうな仲居。
「今、お茶をお淹れしますね。しばらくお待ちになって」
仲居はそう言うと、布団を上げ始める。カバーやシーツだけを剥ぎ取って押し入れに片付ける造作はなかなかの手際だ。

昨晩はチェックインが遅かったのでフロント番の老人に部屋に通された。夕食も外で済ましてくると伝えていた。だから仲居とは今初めて会う。年の頃は60代半ば。ふくよかな女性だが、緩慢なところは見受けられない。宿から貸与された制服だろうか、着物も上手に着こなしている。

私はすでに浴衣から私服に着替えを済ませている。こうして縁側の椅子に腰かけていれば仲居の仕事の邪魔にはならない。もう少しゆっくりしてもいいのだろうが、姉のことに思いを巡らすとのんびり過ごす気にはなれなかった。朝食後には宿の主人との面会も控えている。姉について話を聞きたいと事前に申し入れておいたのだ。

「昨夜はごゆっくりお休みになられましたか」 
仲居が聞いてきた。
「ええ、ぐっすりと。昨日は朝から仕事でしたので思いのほか疲れていたようです。布団に就くや、あっという間に寝入ってしまったみたいで」
「お風呂は昨日のうちに?」
「はい。いいお湯でした。雪のちらつく露天のお風呂もなかなか乙なものですね」

素直に口をついて出る。もともとお世辞を言う性格でもない。日々の仕事に明け暮れ、夜遅く帰宅し シャワーで汗を流して寝るだけの毎日を過ごしている。最後に温泉宿に泊まってかなり久しくもある。この旅が消息を絶った姉を探すための旅でなく、弟を心待ちにしている姉を訪ねる旅であったなら、入浴ひとつにしても比べようもないほどに楽しめることだろう。

「さ、朝食のご用意をさせていただきますね」
仲居の淹れた茶を啜りながら窓の外を眺める。向いの宿の瓦屋根が朝日に照らされキラキラと眩しい。昨夜の雪は夜半の冷え込みで一旦は氷結したが、朝になり陽が上ると、その強い光によって融解され、今、それは雫となって窓ガラスの向こうに幾筋もの落下線を描いている。昨日の空はどこに去ったのか。澄んだ空気が吸いたくなり、半分だけ窓を開ける。冷気が瞬時に頬に貼り付き、少し痛い。

「仲居さんはこちらでのお勤めは長いのですか」
仲居は食事の準備の手を止めずにちらと目を向ける
「そうですねえ。12,3年になりますかしら」
「では、もう、こちらではベテランの粋ですね」
「そういえば聞こえはいいですけど、そうね。古株、お局とか、常連のお客様のなかにはそんな風に揶揄われる方もおられましてよ」 人の良さそうな仲居はクスリと笑う。

この人になら姉は心を開くだろう。もしやすると色々と相談を持ち掛けていたのではないだろうか。何がしかの事情を知っているかもしれない。

「あ、お姉さん。まだ お名前聞いてなかったですね」
「あら、ごめんなさい。お名乗りしてなかったわね。わたくし、担当の小夜と申します。どうぞ、ご滞在中はなんなりとお申し付けを」
小夜は軽く向き直ると、身を正すように頭を下げた。