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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ
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空飛ぶ宝石

奥卯辰山健民公園。春になると一度はここに足を運びます。



お弁当は相変わらず「芝ずし」



管理事務所の2階ではカワセミ写真展が開催されていました。実は、私共の常連のお客様のご主人の作品も展示されています。この池はカワセミを撮影する穴場スポットらしいのですが、技術もさることながら いつ来るともしれないシャッターチャンスを待つ根気強さがいい写真を撮る何にも勝る秘訣のようです。

 

空飛ぶ宝石、カワセミ。写真愛好家がとりこになるのも分ります。



相撲場近くの公園の枝垂は七分咲きです。


蕾ほころび山笑ふ



山のの蕾もようやくほころびました。



今日のお弁当はホットモットの「のり弁」です。リーズナブルなのに美味しいんだよね。

一息ついて、展望台に登ります。



視界の右、霞のなかに小さなこぶがふたつ並んで見えますが、あれは日航ホテルと県庁舎でしょうか。眼下の左手、小高い丘に建っているのが辰己が丘高校。北陸大学のグラウンドも確認できました。

左に転じれば、山並みの下にまあるい屋根のプラネタリウム。あそこの見晴らし駐車場から登ってきたのです。



いや~  我ながらよく登ってきました。ほんと、久しぶりにいい運動になりましたー (*‘∀‘)  山も笑っていますが、膝も嗤っています。

「山笑う」は春の季語、「山滴る」は夏、秋は「山粧う」、冬は「山眠る」。そして、「膝嗤う」は一年を通して使えます。ただし、季語ではありません。では、何なのか? それは「きご」です。・・・ キゴヤマだけに。



 ここで一句。 「山櫻 蕾ほころび 膝わらう」   於 キゴ山 




桜の樹の下で愛を叫ぶ

二日続けて卯辰山に。卯辰山は家から近いので、僕にとって遠山(とおやま)ではない。



遠山ではないが、金さんの背中のような山。愛のおしらす、吹雪が美しい。あまりに惜しげもなく舞い落ちるものだから



「散らしてみるなら散らしてみやがれー」と叫んでやった。(モチロンこころのなかで)

""の樹の下で""ひとり金さんを演じていると、遠くから渡辺淳一の小説の樹の下で」みたいな男女が車でやってきての樹の下でいちゃついてすぐまた去っていった。浮かれ気分も興醒めだ。の樹の下には人を憂鬱にさせる何かがあるのだろうか。。梶井基次郎の「の樹の下には」みたいな何かが。




梶井は難解だよね。分かる人のほうが少ないと思うけど、この僕の記事の文中に「桜の樹の下」は何回出てきたでしょうか?それなら分かるよね。


難解と何回をかけたのも分かるよね。

「桜の樹の下には」は非常に短い小説だから、青空文庫で無料で読めるよ。 クリック 機会があれば感想を聞かせてね。






卯辰山の桜と人間のクズ

卯辰山健民公園



ゴルフ場の跡地を利用して公園にしただけあってさすがに広い。



県民の憩いの場なのだ。



管理事務所横のため池。この土手のが水面に張り出しキレイです。一昨日の強風ですっかり花を落としたようで、水面は花びらで埋め尽くされ、それが渦となり「花筏」を浮かべます。



風もなく絶好のピクニック日和です。キャンプ、バーベキュー、パークゴルフ ・・・多くの家族連れやグループがのどかな春をたのしんでいました。白鳥も陸に上がって寛いでいます。





芝寿しさんの「笹寿し」。杜の里のイオンで買って持ってきました。石川では、お祭りになると笹や柿の葉で包んだ押寿しを作る習慣があります。しばしば家で作ったり、親戚からもらったりしていました。各家庭の味があっていただくのが楽しみでした。今度、久しぶりに家で作ってみようと思っています。



こちらは桃ではないでしょうか??

花びらの先端が割れているのが「」、丸いのが「梅」、尖がっているのが「桃」ですが、これ「豆」です。「豆」でなくどう見ても「桃」じゃないか!!と、怒り心頭の方にひとこと言っときます。「豆」の木であるはずないじゃないですか!もうお解りですね。上記の「豆」はまめちしきの「豆」。「これまめな。」と自慢げに言いたかったのです。でも、半分、知ったかぶりなので、間違ってたら「くそ」です。面倒くさいのが嫌いで調べようともしない僕はボケです。そう、「木瓜」の花です。ボケでなければクズです。間違っていてもいいようにこうして伏線を張っているのはクズのやる事です。そう、僕は「葛」の木です。葛はマメ科だからやっぱり「豆」でした。上手く落ちましたね \(^o^)/



卯辰山相撲場のお隣の広場。枝垂が満開でした。

菜の花と烏賊のスパゲッティーつくる。

菜の花と烏賊の丸干しのスパゲティーを作りました。



烏賊の丸干しは硬いので、切ってから少しの間、酒に浸しておく。きざみにんにくとキャベツ、あるいは玉ねぎ、赤とうがらしを軽く炒めて、そこに少し柔らかくなった烏賊を入れてさらに炒め、茹でたパスタを混ぜて出来上がり。丸干しから烏賊のはらわたの旨みが麺に馴染んで美味しくいただけます。

この丸干し。酒のつまみにすると最高です。5ミリから1センチ程度の幅で輪切りにし、はらわたをそのままにあとは炙るか焼くだけ。焼きは好みで。カリカリになるまで焼かないほうが美味しくいただけます。

4/5より5連発でに関する記事をアップしてシリーズ化してまいりましたが、これは、いわゆる「箸休め」の記事です。スパゲッティーはフォークで食するものだから、文字通り、箸休めなんです。スパゲッティーでなく、馬刺やサクラ鍋の記事にしていたらお休みする必要はなかったんですけどね。たかがブログごときで用意はできません。

次回の記事はまたシリーズに戻ります。



ハザクラになる前に

わりとうまく撮れました 👇 ベストタイミングだったようです。





聖霊病院の教会の👆 



城壁の、荘厳ですね。一眼レフで撮りたかった👆 構図としてはよかったけど👇




ALOHA MAGNOLIA

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このところをシリーズにしてブログの更新をしてまいりました。本日は、セカンドブログで 「葉」 をアップ。男のお前に女の心が分かるか!とかで、かなり不評ではありますが。でも、テンプレートがオサレでしょ。 



*あらかじめ弁解しておきます : 人のこころは千差万別。世のなか、自分と同じように考える人ばかりではない。それは現実社会でも小説の世界でも一緒。全ての登場人物が同じ価値観で生きてるとしたらそもそも物語など出来やしない。また、主人公が自分(作者)と同じ考えなら、それはある意味、私小説になってしまいませんか。よく人を殺したり憎んだりするシーンが小説やドラマにでてくるが、そんなシーンを作っているからといって作者の心持ちがそうあるわけでない。想像しているだけだ。ただ、物書きには、いつもみてみないふりしながら人のこころをそっと覗いている輩が多いことは事実だが。







兼六園の夜桜

明日が雨模様なら今日の夜しかないとやってきました兼六園



花見もまた一興。



大勢の見物客で足の踏み場もないくらい。危うく池に落っこちそうになりました。



稲作が始まったころ、山の開花は農事に取り掛かる目安で、花見の宴は農の神を里の田畑にお呼びしてもてなし、五穀豊穣を祈願する儀式みたいなものだった。花見の時期が長いとその年は豊作になるとされたらしい。神事に関わることなので、宴の席ではの枝を折ってはならなかった。だから、の花見は「狩り」とは言わないのだ。ちなみに、冬に向かって鮮やかな赤に染まる紅葉は生の証とされていたので、若返りのしるしとして枝を折って持ち帰った。「紅葉狩り」と呼ぶ所以である。これまめな。



の寿命は人間と同じくらいだそうだが、夜まで付き合わせて寿命の縮む思いをさせてやしないか心配。

サクラ、ごめんな。こんなお兄ちゃんで。   ~ 柴又の兄貴より


桜は3月



お隣の公園のも満開だ。

ひとくちにと言っても、ヤマザクラなどの野生種から人が栽培して改良した観賞のためのサトザクラもある。その数はなんと300種類にもなるらしい。

ようきひさくら、とらのお、いちよう、あらしやま、つばねざくら、たおやめ、やえざくら、ねざめざくら、ふげんぞう、おおうちやまさくら、いもせ、みくるまがえし、・・・ 数えたら、きりがない。。 桐もなけりゃ、サクラはありすぎ。

5下狙いの最後の一枚、サクラでドボン!! 天才博徒の俺でも春の賭場では全く勝負になんねー。




* きりがない・・桐は12月の札。1年の最後の月。なので「桐がない」というのは最後がないという意味を持つようになった。一応「これまめな」








桜の潔さ



金沢城公園に入る。こちらは兼六園よりのんびりとした雰囲気だ。

それにしても外国からのお客様の多いこと多いこと。外国の方がをみて美しいと感じてくれることはを愛する日本人として悪い気はしないけど、もしキレイなものを見て ただキレイと感じているだけだとしたらどこか物足りない。我々がを美しいと感じるのはどうしてか、その辺りの精神性みたいな部分も説いてあげられたなら、より興味深く「」を鑑賞してもらえるのではないかと、そしてもっと日本を満喫してもらえるのではないかと思うのだ。





春になり、いっせいに咲き乱れて人を歓喜させたかと思うと瞬時に散って惜心を抱かせる。それがだ。その様子からの開花は幸先よいの吉祥と寿ぎ、散りゆく姿を残心そして武士道にも通ずる潔さにたとえられた。生きて華やぐも潔く死して終わるも快いという日本の美意識がそこにある。



貴族社会の平安時代は大陸からの影響もあって「梅」が主役だった。「桜」がもてはやされるようになったのは武士社会が形を成してきた鎌倉時代。武士の切腹という行為も潔く死して美しいものだったのだろうし、それ以後の、あの戦争で決死の覚悟で飛び立った特攻隊だって、、少なからずそんな想念が働いていたのかもしれない。 日本独自の死生観・・



どうだろう。。外国の方々に共感してもらえるのか、共感なくとも理解があるのか。 ‴見事に散る‴ と歌うあの「同期の桜」を聞かせたならばどうなのか。様々な想いが駆け巡る。



                 この桜は「サトザクラ」のひとつ。名は調べてほしい






兼六園の桜

今日は絶好のお花見日和となりました。





平日にも関わらず、園内は多くの花見客で賑わっていました。





栄螺山の上り、夘辰山を望みます。卯辰山のは数日先が見頃となるでしょう。