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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ 【HALE OLA HOKULANI E KOMO MAI】
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  • 足跡 (2011.03.28)
      

足跡

このたびの東日本大震災により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

未曾有の被害をもたらした太平洋沖地震の発生から半月余が過ぎました。地震発生時、私と家内と長女は金沢駅構内にいましたが、揺れは全く感じませんでした。「たった今、ものすごい揺れがあった」 と、東京の学校に通っている次女から電話があり 揺れの様子を聞き、その地震の大きさを初めて知りました。家に戻り、テレビを付けると 緊急報道特番ではキャスターが慌てた様子で地震の特報をアナウンスしています。私は 徐々に明らかにされる全容を目の当りにして言葉を失いました。東北地方の太平洋沿岸の地区で、その地震によって引き起こされた想像を絶する大きさの津波の町ごと浚ってゆく様子が映し出されていたのです。さらにその被害は広範に及んでいて、幾つもの町が壊滅的な状況に追いやられていたのです。

その後 時の経過とともに 被災された方々が家族 離れ離れになり苦しんでいる姿が映し出されると、私自身もまた胸が詰まり、暗澹たる気持ちに襲われるようになりました。永らく筆を執ることすら出来なかったのです。培ってきたもの全てを一瞬で持ち去られてしまったその喪失感、いつ終わるとも知れない疲労感、大切な人と今もまだ会えずにいる悲壮感。被災された方々のそれらの痛みは推し量ることすら憚られるほど大きいものだと思います。そのことに思いを馳せると、どんな励ましの言葉も思いつかず、私は 只々沈んだ気持ちのまま時を過ごしていたのです。しかし、こうしているうちにも一筋の光を信じて耐え忍んでいる方々が大勢おられます。そして 前に向かって進もうと一歩を踏み出した方々がおられます。また、被災の現場、前線に立ち、決死の覚悟で戦い続けておられる自衛隊員、消防士の方々もおられるのです。そのことに心から感謝しつつ、一人一人の小さな思いやりや労りが大きな実へと結実することを信じて、今自分が出来ることが何なのかを真剣に考え行動しようと思っています。

被災された方々の痛みと比較することは到底出来ませんが、私自身、辛く悲しい日々を過ごした時期もありました。そんな時、出合った癒しの詩を紹介しようと思います。その「フットプリント」という詩は、一歩踏み出す勇気を私に与えてくれました。貴方が辛い時、主はある時には隣人の姿を借りて、またある時には別の姿で貴方のもとを訪れ、貴方の手を携えると行く先々を照らしながら先導してくれることでしょう。貴方は決して一人ではないのです。



ある夜、彼は夢を見ました。それは主とともに海岸を歩いている夢でした。
その時、これまでの彼の人生が暗い夜空を走馬灯のように横切りました。
そして彼は、それらのどの光景においても砂浜には二人の足跡が残されていることに気付いたのです。ひとつは彼自身の足跡、そしてもうひとつは主のものでした。

そして最後の光景が映し出された時、彼は砂浜の足跡を振り返って見たのです。
すると、彼が歩んできた今までの道の多くに、たった一つの足跡しかないことに気が付きました。
そしてそれは彼の人生で最も困難で、悲しみに打ちひしがれている時期のものであると気付かされたのです。

このことがいつも彼の心を乱していたので、彼はその悩みについて主に尋ねました。
「主よ。私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。それなのに、私の人生で最も苦しかった時、ひとりの足跡しかなかったのです。私があなたを必要としている時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私には分かりません」

主は答えられました。
「私の高価で尊い子よ。私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試練の時には。たったひとりの足跡しかなかったのは、私があなたを背負って歩いていたからなのです」


3ケ月も前のことで恐縮ですが、子供たちが幼い頃、お世話になった幼稚園の園長先生が昨年秋、瑞宝章を叙勲されたとのことだったので、冬休みを利用して帰郷している娘たちを連れて年明け早々、ご挨拶に出掛けました。神父でもある園長先生が木彫りの人形や砂浜の流木を集めて作ったというキリスト生誕のジオラマが園併設の教会に飾られています。どの角度から見てもストーリー性が窺える素晴らしい作品に仕上がっています。イエスは、神への愛ゆえに自分の命さえも捧げました。それにもかかわらず神から「見捨てられる」という究極の苦しみを味わいました。そのイエスの生誕の姿をアップすることで、少しでも癒しが拡がればと思います。

ジオラマ


私はキリスト教を深く勉強したわけではありませんので、多少解釈に間違いがあるかも知れません。もし、そうならご寛容頂ければ幸いです。