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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ
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「アバウト・タイム」を観て

イギリス南西部に住む青年ティムは、両親と妹、そして伯父の5人家族。どんな天気でも、海辺でピクニックを、週末は野外映画上映を楽しむ。風変りだけど仲良し家族。しかし、自分に自信のないティムは年頃になっても彼女ができずにいた。そして迎えた21歳の誕生日、一家に生まれた男たちにはタイムトラベル能力があることを父から知らされる。そんな能力に驚きつつも恋人ゲットのためにタイムトラベルを繰り返すようになるティム。弁護士を目指してロンドンへ移り住んでからは、チャーミングな女の子メアリーと出会い、恋に落ちる。ところが、タイムトラベルが引き起こす不運によって、二人の出会いはなかったことに!なんとか彼女の愛を勝ち取り、その後もタイムトラベルを続けて人とは違う人生を送るティムだったが、やがて重大なことに気がついていく。どんな家族にも起こる不幸や波風は、あらゆる能力を使っても回避することは不可能なのだと……。そして、本当の愛とは、幸せとは何なのかを知る。同時に、ティムと時間の旅をともにする私たちも、愛と幸せの本質を実感することになる。≪公式HPより≫

身の回りに起こるひとつひとつの出来事をありのままを受け入れつつ、時折、ふと感じる小さな幸せを見過ごさないように日々の暮らしを大切に生きていくこと。それがタイムトラベルを繰り返すことでティムが得た幸せに生きる術だったのだ。ティムにとって父との永遠の別れはそのありのままを受容することのひとつでもあった。辛い選択をする息子を思いながらも、死してありのままを貫こうとする父の愛情に胸が熱くなった。父子が過去に戻り、幸せをかみしめるシーンがとても印象的。誰もが気づきながらも実行できずにいる、「幸せに生きる知恵」を今一度、思い起こさせてくれた。



「心の持ちようで一日が愉快にも不愉快にもなる」 確かにそうかも。。 嫁はんに口酸っぱく言われていることですが、屁理屈言うばかりでなく実践してみようとする素直さが必要なのでしょう。 








 

「ゆれる」を観て

完全ネタバレなのでご注意ください。


東京で写真家として成功した早川猛(オダギリ ジョー)は、母の一周忌で久しぶりに帰郷する。母の葬儀にも立ち会わず、父・勇(伊武雅刀)とも折り合いの悪い猛だが、温厚な兄の稔(香川照之)はそんな弟を気遣う。稔は父とガソリンスタンドを経営しており、兄弟の幼なじみの智恵子(真木よう子)もそこで働いていた。智恵子と再会した猛は、その晩、彼女と関係を持つ。翌日、兄弟と智恵子は近くにある渓谷へ向かい、稔のいないところで智恵子は、猛と一緒に東京へ行くと言い出す。智恵子の思いを受け止めかね、はぐらかそうとする猛だが、猛を追いかけて智恵子は吊り橋を渡る。河原の草花にカメラを向けていた猛が顔を上げると、吊り橋の上で稔と智恵子が揉み合っていた。そして智恵子は渓流へ落下する。捜査の末に事故死と決着がついたが、ある日、理不尽な客に逆上した稔は暴力をはたらき、連行された警察署で自分が智恵子を突き落としたと告白する。猛は東京で弁護士をしている伯父・修に弁護を依頼するが、公判を重ねるにつれ、稔はこれまでとは違う一面を見せていく。稔は、智恵子の死に罪悪感を抱いていたために「自分が殺した」と口走ってしまったと主張。その態度は裁判官の心証をよくし、公判は稔にとって有利に進む。しかし、稔が朴訥に語る事件のあらましは猛の記憶とは微妙に違っていた。猛は面会室で稔に、高所恐怖症にもかかわらず、どうして吊り橋を渡ったのかと兄に問う。稔は「お前は自分が人殺しの弟になるのが嫌なだけだよ」と答える。後日、証人として証言台に立った猛は、稔が智恵子を突き落としたと証言する。7年後、スタンドの従業員・洋平が猛の元を訪れ、明日、稔が出所することを伝える。その晩、昔、父が撮影した8ミリ映写機とテープを見つけた猛は、テープに残された幼い頃の兄と自分を観る。猛の目に涙があふれる。明け方、猛は車を走らせ兄を迎えに行き、歩道を歩く稔の姿を見つけ「家に帰ろう」と叫ぶ。稔は猛の姿を認め、微笑む。 ≪キネマ旬報データベースより≫


いくつかどうしても分らないことがあるので列記したい。列記のみに留めるので、あらすじについては簡潔、かつ分かり易いキネマ旬報のデータベースより借用させていただいた。


* 吊り橋のうえから落下する智恵子を見ていた猛は急いで橋まで戻るが、橋の上で狼狽している稔になぜ何もみていないようなそぶりをしたのか。あの時の猛の態度が不自然で不可解だ。もしかしたら猛は落下の瞬間を見てはいなかったのかと思い、今一度そのシーンを巻き戻してみたが、猛はその瞬間を瞬きもせずに確かに見ていた。ひとつ考えられるのは、あまりに狼狽する稔を見て、自分が慌てる様子を見せれば、稔がさらに狼狽しかねないのでさりげなく近づくしかなかった。もうひとつ考えられるのは、猛は確かに見ていたが、事が事だけに何が起こっているのか認識できなかったか、あるいは一時的な記憶障害に陥ったという見方。後者であるなら多くの疑問が解ける。最後のひとつ、それは、猛は稔が橋から智恵子を突き落としたと確かに認識した。しかし、それを見ていないことにしたほうが、今後捜査が進行したとしても、稔、猛の双方どちらにとっても間違いなく都合がよい。漠然とだが咄嗟にそう判断した。これが真相のような気がしないでもない。


* 稔が智恵子を突き落としたと猛が証言するシーン。稔は証言台の猛を見ながら笑みを浮かべていた。何の笑みか。これについてはいろいろと解釈がでているようだが、適当だと思えるようなものがない。全ての疑問が、橋のうえでの稔と智恵子がどうであったかに戻ってくる。あのシーンが猛の回想として描かれているのだが、その回想自体がまさにゆれているので真実かどうかもわからない。しかし、このシーンの真実が曖昧だとどうどう巡りになるので、私は以下のような経緯を敢えて真相としたい。稔は突き倒した後も智恵子に対する怒りは収まらず、実際に転落させようとする行為を行った。しかし、転落の寸前になって稔はようやく我に返り、智恵子の手を掴んで引き上げようとしたが、時すでに遅かった。こうであれば、あれは間違いなく殺人であり、稔自身もそう認識していることは疑う余地はない。とすれば、あの笑みは真実を恐れず証言した弟に納得した笑みだったのか。。(恐れずと言ったのは殺人者の弟となることを恐れないの意) 対して、この真相が全く違うものなら、例えば、稔は確かに突き倒した。だが、それによって落下したのではなく、後ずさりする智恵子が誤まって踏み外したとしよう。さすれば、稔のなかでは助けようとしたとの思いが強くなっても仕方がなく、あれは事故だったと思いたい気持ちが確信にかわっていたとしてもおかしくない。万一、そうならば、あの稔の笑みの意味も、昨日のあてつけのように偽証する弟への蔑み、あるいは、ここでもまた、その場しのぎの猛ではなく真面目に生きてきた自分が割りを食ってしまったという自嘲の意味とも捉えられる。このように全く正反対の意味になるのだからどうにも言いようがなくなる。全てがあのシーンの真相と稔がどう考えているかという一点に絞られてくるのだ。


* 証言台の猛はどんな思いを抱いて証言したのか。「本当の兄を取り戻す」というのは、口からの出まかせで、悪意を持って稔を豚箱に送り込んだとも思えるし。。そもそも、猛の目にはあの光景が殺人に映ったのか、そうでないのか判断しかねる。確信が持てないまま証言したとも考えられる。見方をさらに複雑にしている一因だ。


* 刑期を終えた稔がバスに乗ろうとして顔を上げるとそこに猛がいた。猛の家に帰ろうという呼びかけに稔は笑顔を見せる。あの微笑みにはどんな意味が込められていたのか。バスに乗って行ってしまうのか、猛の呼びかけに応じるのか。上記に並べた疑問と被るところがあって、熟考すればするほどその答えが突拍子もないところに行きついてしまうような気がして全く結論が見い出せない。






オダギリジョーと香川照之の演技力が半端ない。感動を誘うような話ではないが、稀にみる秀作だ。


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「愛を積むひと」を観て

東京で町工場を営む篤史は、経営の厳しい工場をたたみ、心臓を患う妻良子の療養も兼ねて北海道に移り住む。終の棲家は外国人が住んでいた瀟洒な一戸建て。美瑛の広大な台地に広がる大自然のなか夫婦ふたりの第二の人生は始まった。

仕事一辺倒だったせいか篤史は越してきて以来 暇を持て余していた。その様子をみて良子は篤史に、家の周りを取り囲む石塀を造ってみてはと提案する。愛しい良子の願いならいかなることでも叶えたい篤史は、始めは渋々だったが、造園会社社長の協力のもと下働きの青年の若い力も借りることでようやく重い腰をあげる。良子の篤史へのこの提案は篤史の衰えてゆく体力や気力への配慮だったのだろう。

そんななか、自宅に空き巣が入る。空き巣と鉢合わせした良子は脳震盪で倒れ足を骨折するが、幸いにも大事には至らなかった。ホッとした篤史は再び石積みを始める。篤史と下働きの徹はもっぱら石を積み、良子は徹の中学の同級生で恋人の紗英のたっての申し出もあり、足が完治するまでの間、庭での野菜作りや調理を紗英に手伝ってもらうことにした。篤史が思い描いていた大雪山を見ながらのバーベキューも実現した。

穏やかな日々がようやくはじまりかけたその矢先、良子が他界する。良子は病状の悪化を篤史に伏せていた。うちひしがれる篤史。その彼のもとに妻からの手紙が届く。自らの命がそう長くないことを自覚していた良子がひとりになる篤史の身を案じて手紙を書き残していたのだ。紗英に託していた手紙には、不良の先輩に唆されて自分たちを裏切ってしまった徹を許してあげてほしいと、また別の手紙には不倫により他人を傷つけてしまった娘聡子を許してあげてと、良子らしい優しい思いが認められていた。。

佐藤浩市演じる篤史と樋口可南子演じる良子がまさに絵に描いたような素敵な夫婦だった。篤史が良子にナット・キング・コールのレコード盤を書棚から引っ張り出してきて針を落としてジャジーな「スマイル」を聞かせるシーン。あれはちょっと格好いいのでないの、と思ってしまった。また、良子の誕生日をお祝いするシーンだ。篤史の良子へのプレゼントは毎年決まってひと粒のパール。結婚当初、経済的に余裕のなかった篤史はネックレスを買うことが出来ず、ひと粒だけパールを贈った。それ以来、毎年ずっとひと粒のパールを贈っているのだ。その思い出を徹と紗英に聞かせる良子、照れながら小箱に入ったパールを差し出す篤史。パールは最後、ネックレスになって娘聡子に渡されるのだ。。余りに綺麗にまとまっていやしないかい。世の奥様なら、なんて素敵な夫なのでしょうと、隣の旦那を横目にしつつため息のひとつも出すに違いない -- 恰好良すぎなのだ。

しかしながら、不思議なことにこの映画、一貫して流れる綺麗すぎる出来事や登場する人物のこれまた麗しすぎる心の在り方が美瑛の大地の大らかさと美しさに完全にマッチしているのだ。夫婦の愛、親子の愛、若い男女の初々しい愛、様々な愛の形が描かれているが、初夏の北海道の雲ひとつない青空のように愛を信じている俺のような奴は、その愛があの麗しき美瑛の原景のように思えて図らずもうるうると涙することになるに違いない。自分でいってりゃ、世話ねーべ。 てか。

倦怠期に突入したお二人におすすめしたい。

  













「起終点駅 ターミナル」 を観て

かつての恋人冴子を自殺に追いやってしまった罪の意識から妻や子も捨てて道東の果て釧路でひとり暮らす弁護士鷲田完治。彼はその贖罪を自らに科すように国選弁護人しか引き受けず、東京の息子の養育費を稼ぐだけの毎日を送っていた。

ある時、鷲田はひとりの若い娘 椎名敦子の弁護を引き受ける。罪状は覚せい剤に関わるものだったが、執行猶予の付く形で結審した。彼女はその後、再び鷲田の元を訪れ人探しを依頼する。当初その依頼を頑なに拒否していた鷲田だったが、家族との関わりを一切断絶、ひとり懸命に生きる敦子の姿にその依頼を受けないまでも食事を作り与え身の上の話までをも聞くようになる。

流されるままの日々を送っていた敦子だったが、鷲田と出逢い心通わすなかで、生きる希望と忘れていたその価値を取り戻す。そして鷲田に見送られるように新たな人生へと旅立ってゆくのだ。鷲田もまた、敦子のその姿に背中を押されるように自らも勇気を持って新たな一歩を踏み出そうと決意した。

主人公の年齢、生まれ月の星座まで一緒だったので気持ちが入りやすかった。牡羊座は闘う星座で、それを支えるのが天秤座らしい。天秤座の冴子が鷲田に言った言葉だが妙に心に残った。「鷲田完治、今は闘っているのかな」 冴子は完治と同衾するなか完治の行く末を案じて呟いた。闘い続けることが牡羊座の宿命だと言わんばかりに。あのシーンでは、私はその問いを自分自身にも投げかけた。

派手な展開のないドラマだが、釧路の四季折々の風土が美しく描かれていて、その印象的な数々の情景が主人公をはじめとする登場人物それぞれの心象描写を豊かで深いものにしていた。このような設定は嫌いではない。人の心の葛藤や痛み、あらゆる情感がその土地の風土に滲むように浮き上がるからだ。

 

何を言いたいのか多少分からないところはあるが、理解できる できないで全てを片付けることができないのもまた人生ドラマ。だからあまり気にしない。あえて言うなら、暗い穴に息を殺して潜っていても贖罪になんてなりはしない。逃避であると気づけよ、ってことなのか。鷲田と敦子がそれぞれにどう思い、最後にあのように生き方を変えようとしたのか定かではない。しかし、生きていれば人生に終点などなく 終点は気持ち次第で起点になる。それは間違いないだろう。

終点は起点となる … 私もそう信じて生きてきた。あの日、確かに私は終点を向かえた。今でもつい昨日のことのようにも思える。忘れもしないが、始発駅にいたはずの大勢の乗客はいつしかまばらになり、終着駅に着く頃には人影はすべて消え失せた。だが、終着駅は始発駅となり、私を除いて誰一人乗車することのないその車両は再び動き出した。わずかな燃料を携えての新たな旅のはじまり。時が流れ、そしてひとつ駅に停車するたびひとりふたりと乗客は増えていった。新たな一歩を踏み出したからこそ成せたことだと思っている。問題があるとすれば、あれ以来ずっと各駅停車だということ。でも、いいんだよ。走ってさえいれば。この物語のなかで鷲田は言った。「いいんだよ。生きてさえいれば」と。あの時、私もそう言ったかもしれない。

佐藤浩市、渋い役も絵になるね。


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探しあぐねて、最後に手に取るのはいつもアクション

レンタルDVDの話。

これって性(サガ)?

多分 こんな大人って、ちっちゃい頃から「冒険王」とか読みふけってて、今でも「ジャンプ」を購読してたりするんだろうな。

こう言うと「誰のこと?あなたのことでしょ!」と突っ込まれたりもする。

「劇場で観るならやはりアクション!」それは変わらない。
けど、レンタルならば 優しい気持ちになれるものもたまにはいいんじゃない?と、とも思う。

人には大別すると2通りのタイプがあるって最近思う。
ひとつは、この世に生を受けて以来、小さな徳を積み重ね こころの中の愛の樹を太く大きく育てているタイプ。
そしてもうひとつは、生き延びていこうとするあまり 愛あることにも気付かず樹の幹を細らせてしまっているタイプだ。

自分のような後者のタイプは、自ら意識して樹の根元に水を遣らねばならない。愛を育てるための水。
その水は映画であってもいい。勿論、オカルトや任侠映画ではない。こころの土壌に愛が染み渡る映画だ。

ここで、ジャッキーチェンを棚に戻したあなたが次に手に取るべき作品を少し紹介しよう。

まずは、観てる人も多いと思うが、あの名作「ショー シャンクの空に」、そして「グッド・ウィル・ハンティング~旅立ち~」。「グリーンマイル」はどうだろう。

今日、10月14日は何を隠そう鉄道の日。そう、高倉健主演の「鉄道員 ぽっぽや」、深いいです。可憐な花を咲かせたいなら、「この森で、天使はバスを降りた」などがお勧め。

ホント言うと逆に、手の施しようのない乾ききった私にマイケル ジャクソンの新曲じゃないけど「THIS IS IT」、これだ!と教えてくれる方、是非ともお待ちしています。