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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ 【HALE OLA HOKULANI E KOMO MAI】
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「無垢の領域」を読んで

「無垢の領域」を読んだ。これは、自分の胸の奥底に渦巻く様々な感情を掘り出し 机上に並べて自らに問いかけるような小説だった。その感情とは嫉妬、欲望、諦観、憤懣、打算等、否定的なニュアンスで表現できるものばかり。物語のなかで一人称で語られる3人の登場人物のいづれかに自らを重ねてみた読者も少なくないだろう。

人はそれらの感情に蓋をして生きている。そうあらねば他との関わりのなかで生きることが出来ない。生きねばならないから苦しくもあり悲しいのである。だからといって一概にそれは不幸だとは言えない。



書道家の秋津、秋津の妻で養護教員の伶子、図書館長の林原。三者は其々に様々な思いを抱きながら懸命に生きている。この3人の前にある日突然純香が現れる。純香は林原の妹ではあるが父が異なるため祖母に育てられていた。祖母は亡くなる直前、成人してはいるが生活能力に欠ける純香を林原に託してきたのだ。

純粋無垢な純香とともに暮らす決意はしたが不安を隠せない林原、純香の書の才に気付き自ら主宰する書道塾で指導補助として純香を招き入れる秋津、病床の母を日々介護する秋津を金銭的に支える伶子、各々、言葉にできない不満や鬱憤を抱え日々の生活を送っていた。そんな時だった。純香の出現は彼らの胸奥に潜り沈んでいた黒い澱の数々を暗い闇の底から炙り出し浮き立たせたのだ。

秋津にとってそれは純香の才への嫉妬であり妻に養われているという卑屈さであった。また、自分を解放させてくれない母に対する憤懣であった。林原にとっては純香は愛おしくもあり煩わしくもある。思わせぶりな言動をみせる伶子に寄せる不埒な関心は恋人里奈に対する欺瞞であり、純香を全ての言い訳のひとつにしてもいる。伶子もまた煩わしさから実家と疎遠になっており、不満とは言い切れないものの心揺れることもない秋津との生活のなかにあって感情の起伏もなく全てを冷めてみている自身をも深く嫌悪している。林原と繋がりは緩慢な生活からの逃避、もしくは蓋をしていた自らの欲や感情の発露だったのだろうか。伶子にとって純香は林原との都合のいい結束点でしかなく、怜子はそれを自覚しつつも狡猾に利用していた。

こうした三者三様の想いは時に卑しく狡いものに違いない。だが、この小説にはどこかそれも仕方のないものであり、人が生きていくうえで常につきまとうものとも捉えてもいる。澄んだ水に魚が住めないのと同様に無垢な純香の領域では人は生きづらい。大人ならなおさらだ。伶子の勤める学校の生徒沙奈は大人の透けてみえる感情を嫌味たっぷりに道化と呼んだが、誰にも左右されずストレートに行動し、己のみの価値観で生きていこうとする彼女のような意志の強さがあれば話は別だろう。また、老いてまるで子供のように振る舞い自らの言動に何の恐れも持たない秋津の母も沙奈と同類に思えた。

結末で、秋津の受賞を祝う式に出席した林原は秋津にあることを告げる。林原をあの言動に駆り立てたのは林原の秋津に対する嫉妬だったのか。幼い時に自殺した書道家であった母への、あるいは純香へのオマージュだったとも思えるし、書道家としての野心を叶えられずに死んだ母の無念が林原の心の内で秋津に対する嫉妬となって形を成したのか。伶子は林原ではなく秋津を選んだ。そこからくる嫉妬なのか。その全てのようにも思える。人の思いは複雑で「嫉妬」と一口に言っても見方は様々だ。

人は仕方のないことがいっぱいになると他人を恨みますか。でも、私はあなたを恨みません。そんな意味のことを純香は死の間際、口にする。先に純香の領域では生きづらいと言った。しかし、誰もが身勝手で愚かならば、もちろん自分も含めてではあるが、その領域に心寄せて生きてみることこそ大事なのかもしれない。

心象描写がこれほどまでに散りばめられている作品は珍しい。女流作家らしい素晴らしい作品だ。二度読みして心の在り方を深く掘り下げてみても面白いだろう。 とは言いつつも 私のなかでは心象描写をことごとく排除したようなハードボイルドが一番であり、それはこれからもかわらない。