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日記・仕事・回想・コラム・レビュー・レポート・小説&詩篇集/金沢のもくれん院長の気儘ブログ
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シック

「清潔さ」を売りのひとつにするサロンでその髭面は止めなさい。妻の容赦ないひと言。髭を生やしてみたくなるのは男なら誰にでも一度くらいはあると思うのだが。どうも解かってくれない。不精髭はハリウッドやプロスポーツ界などいわゆるセレブリティーの間でいつのころからか流行りだしたスタイル。フランス語で「粋な」という意味を持つ「CHIC」という言葉で形容され、業界でも定着しているはずだけど・・・

と言って反論するが、「業界? ふん(鼻で笑う感じで)。なら、あなた、何者なの?」の一言で、ハイ 終了! __ グググ、、反論できない(-_-;) 妻に言わせると単なる「SHABBY」だそうだが、自分的には密かに「SHABBY AND CHIC」だと思っている。

                     
シャビーシックに自撮ってみましたが、あきらめて剃って仕事にのぞみます)

さて、戯言はこれくらいにして、本来の「CHIC」の意味を使ってサロンを宣伝!

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当サロンでは施術のタオルは基本、白。漂白剤でしっかりと汚れをとりたいから。スッキリと剃られた院長の顎に、白いタオル、アロマの沁みついた院長のボディー(笑)(時々、出かけた先で言われることがある)、そんななかに「清潔さ」という売りをそっと忍ばせているのです。かれこれオープン10年になりますが、飾り気のない室内だけど、結構、小奇麗にしてると思います。

インテリアデザインをシャビーシックにしたらもっと流行るだろうな。

東山でうらやむ

青空に誘われて卯辰山をドライブ。

 

長谷山観音院。卯辰山山麓寺院群のひとつで、北陸三十三ケ所霊場巡り十四番札所。御本尊は十一面観世音菩薩。「高野山」と「善行寺」にも今日一日でお参りさせていただきました。お堂のなかは撮影禁止なので外観のみ。四万六千日(観音様の功徳を得られる日)にお参りすると、46.000日分お参りしたと同じだけの御利益が得られます。それは暦で、旧暦の7月9日、ご本尊ご開帳があるようです。新暦でいったら来年は何月何日になるのだろう。忘れないよう来年のカレンダーに〇を付けとかきゃな。

金沢では、「四万六千日」参拝後にこちらで祈祷を受けたトウモロコシを買って帰り自宅の軒先にぶら下げます。この界隈では特によく見かけます。 トウモロコシの実は家族の繁栄、先のふさふさの毛は「儲け」「魔除け」を意味するのだそうです。



私は東山をブラブラしました。軒先に吊るされたトウモロコシもブラブラ。茶屋街を歩く着物を格好良く着こなしたカップルはブラブラというよりむしろラブラブ。ふさふさも羨ましいですが、ラブラブはもっと羨ましいです。

①ふさふさ=トウモロコシ ②ふさふさ=儲け ③ふさふさ=抜けてない 
いずれの意味においても羨ましいです。ラブラブが羨ましいのは年齢に関係ありま・・・せん。






雷雪の如く 1.

大粒の霙(みぞれ)がフロントガラスを叩いている。金沢駅を降りてタクシー乗り場へと向かう途中に降りだした雨は霙に変わり、今また急に降りが強くなった。ボンネットに打ちつけるそのけたたましさはさながら機関銃を手にした麻薬常習者が銃口をこちらに向け乱射しているかの様相だ。時折、閃光が山際を照らし間をおいて空がゴロと唸る。

先ほどまで押し黙っていた初老の運転手がついに口を開いた。
「北陸の冬はこれなんですよ。雷と霙の二重奏。これが終わるとドカっと雪がやってくるんですわ。あと一週間もすればどうやろね。この辺りは一面、真っ白になっとるのとちがうやろか」

後部席の漆田は結露で曇るガラス越し外に目をやる。間近に街灯が滲んでみえるも瞬く間に後ろに消え去った。夜の8時を少し回っただけというのに対向車に出合うことすらない。漆黒の闇の中、霙の弾ける音だけが響く。ヘッドライトに照らされた一寸先の路面だけが頼りの山峡の一本道。得体のしれない生き物が暗い闇に潜み我々を呑み込もうと大きく口を開けているかのようにも見える。怖気づいた子犬のようにせわしなく振れるワイパーの向こうには死んだような民家の軒先が現れ、一軒また一軒現れては闇へと消えた。

金沢駅を出て30分ほど走ったろうか。
「あと5分くらいかな」 運転手がひとりごとのように言う。到着前に乗客に寝入ってしまわれては厄介なのだろう。耳たぶを引っ張りながらその運転手はバックミラーを覗き込んでこちらの様子を窺う。

「思ったより駅から遠いね」
「この天気だからねえ」 
漆田の声に運転手は気のない返事をするもハンドルを握りなおす。

金沢に降り立ったのは腹違いの姉の消息を確認するためだった。姉が勤めていたという旅館に部屋を予約している。宿の主によると1ケ月前、姉は忽然と姿を消したという。姉の身の上に何が起きたのか。何に怖れをなし何処に身を隠しているのか。その手掛かりを見つけるまでは絶対に帰れない。こう心に決めてきたのだが ・・・ もしかすると別の旅館で名を変え働いているのかもしれない。「いきなりやってくるなんてどういう風の吹き回し?」なんてことを口走り、眼を丸くさせながらも義弟の突然の来訪を喜んでくれる。。そんな楽観した絵図もぼんやりとだが持っていた。否、そのように自らに言い聞かせていたのかもしれない。人には優しく騙されやすい一面、無きにしも非ずの姉だが、毅然とした性格の持ち主でもある。事件や事故に巻き込まれたり自殺することなど到底考えられない。

姉は9歳年上で現在45才になる。幼い頃 しばらくだけ一緒に過ごしたことがある。姉は、成人した後、父の元を離れ大阪に移り住み、小さな町工場の事務員として働きだした。雑務だけでなく営業もこなしていた姉は、たまに東京に出張することもあって、そんな時には必ず連絡をくれた。そして学生の俺はいつもご馳走にあずかった。「お義母さんには内緒だよ」とウインクする姉をどこか眩しく感じたものだ。母と姉の関係は良好だった。姉は常に母を立てていたし、母は姉をひとりの大人として認め、接していた。今思うに、お互い踏み込んではならない領域を分かっていたのだろう。そんな賢かった母も俺が社会に出る年、病に倒れ帰らぬ人となった。

父が急逝したのは5年前。姉はすでに大阪の工場を辞め、北陸の小さな温泉場 湯涌で仲居を始めていた。不況のあおりを受けて会社が傾き 工場を辞めざるを得なくなったらしい。父の葬儀に戻ってきた姉は少しやつれてはいたが、哀しみのなかにも時折、にこやかな笑顔を見せていた。法要を済ませた後、再会を約束して別れたもののそれ以後 姉とは会っていない。連絡がないことを元気でいる証のように考えていたし、俺自身も慌ただしい毎日に埋没しており 姉を慮る余裕すらなくなっていたのだ。

心にようやく余裕が生まれたのは最近のこと。遠く離れた姉のことも気になり始めていた。そんな折、互いの携帯番号を確認しているにも拘わらずその姉から封書の手紙が届く。大事な話があるから金沢を訪ねてほしいとの旨だった。季節の挨拶と近況を知らせる穏やかな書き出しの手紙であったが、心に引っかかるものを感じた。不安が過ぎる。今ではもう、血のつながりのある唯一の人、幼い頃には女神のように思えた弟思いの優しい姉が目蓋に浮かんだ。不安を打ち消すべく電話をかけたが全く繋がらない。何度かけても繋がらなかった。携帯番号を変更したのか。今度は姉の住所に宛てて手紙を送る。だが、その都度返送されてきた。不安は的中 現実のものとなった。居てもたってもおられず、俺は急遽1週間の休暇を会社に申し出、こうして姉の所在を確認するためここ金沢に足を踏み入れたのだ。

辺りが明るさを取り戻しつつあった。温泉組合の看板の「ようこそ」の文字が視線を横切る。スナックの古びたサインに灯が灯る。人の温もり、息づかいを感じられる場所にようやくたどり着いたようだ。姉は一体ここでどんな暮らしをしていたのだろうか。果たしてまだこの地に留まっているのだろうか。そしてこの俺に何を伝えたいというのか。。

漆田を乗せたタクシーは小さな宿の前に横付けされた。
「さ、お客さん、着きましたよ。雨が止んでるうちにお入りなされ」
漆田はタクシーを降り立つ。身を切られるほどに外気が冷たい。襟を立て空を窺うといつしか霙は雪に変わっていた。

つけ麺「是・空」田上店



熱々の石窯碗でいただくつけ麺で個性を発揮していた「麵屋ゆうじ」でしたが、どういう訳か閉店。その空き店舗に店を構えたのが、つけ麺専門のお店、「是・空」でした。オープン当初から昼時には駐車場が常に満車で、今日の今までずっと足が遠のいていたのです。藤江のお店には何度か伺ったことがありますが、田上のお店は今回が初めて。国産豚足と鶏もみじを8時間煮込み、ゼラチン質たっぷりの濃厚スープに、宗田節・鯖節など数種類の魚介から旨みを存分に抽出した魚介系のスープをかけ合わせた独特のつけ汁が特徴。中太の麺にしっかりと濃厚なトロトロ汁が絡み、舌先までと~ろとろです。さらには、白ごはんをレンゲに乗せてゆっくりとつけ汁に沈ませたかと思いきや、今度は米粒が流れ出さないようにそっと浮かび上がらせていただく・・・。 色即是空の境地ですね。

紅葉の季節_ なので

先頃、熱海市を代表する観光スポット「貫一とお宮の像」に暴力を肯定するものではないという主旨のプレートが設置された。その像は、明治の文豪、尾崎紅葉の「金色夜叉」の名シーンを写したものだ。貧乏学生の貫一が「来年の今月今夜、この月を僕の涙で曇らせてみせる」と言って、お金持ちの家に嫁入りするお宮を足蹴にする場面はあまりに有名。

市によると、建立当時からも様々な方面から「女性蔑視」の像だとの意見があったらしいが、東京オリンピックを4年後に控え、また海外からの旅行者が増えつつあるここにきて、ある女性の大学教授から強い抗議文が市長宛に届いたらしい。それがきっかけとなり協議が再開され、ついにはこのようなプレートが設置されることになったとのこと。そのプレートには外国人観光客の誤解を招かぬよう日本語だけでなく同意の英文が表記されているらしい。

確かに女性を蹴りつける男性の姿は見る者に強烈な印象を与える。海外旅行者が急増している昨今、何も知らない外国人観光客がこの像を観て、不快に感じることもあるだろう。しかし、この像は、「金色夜叉」という作品のなかに都心からも程近い休養地である熱海が登場し、そのお蔭で熱海の浴客が増加、財政的にも潤うようになった。そのため、熱海の象徴として中心地に建立されただけではないのか。尾崎紅葉への、そして銅像作者への敬意が感じられない措置に対して多少不満はあるものの、誤解への危惧があるというのだからプレート設置については致し方ないのかもしれないが。。

しかし、これを取り上げたテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」には驚いた。コメンテーターの玉川徹氏は、「『日本も100年前は男性がこうやって女性に暴力を振るうような国でした』って入れればいいんじゃないですか」と語り、日本在住54年のC・W・ニコル氏のコメントとして、「男性が女性を蹴ることは許せない。たとえ、文学作品の一部だとしても許せない。撤去したほうがいい」という極端な意見まで伝えていたという。意見は様々あっていいとは思うが、外国人観光客に対してそこまで阿る必要があるのかという気がするし、まずは、銅像が建てられた経緯や理由を知ってもらう手立ての方が先だろうという気がする。芸術作品はその国の歴史、文化を象徴するもの。現代の価値観から見て、それが適切とは言い切れない場合でも一定の評価をする必要があるのではないのかな。それでなければ芸術は後世に残せないと思うのだ。

この一件で、取材を受けたボランティアガイド、リチャード田中さんはこう答えている。

「像に立ち寄る外国人観光客は台湾や中国からのお客さんがほとんどです。像の説明をすると皆さん納得されますし、ポーズを真似て記念写真を撮ることも多い。カップルの場合、だいたい8割は女性が男性を足蹴にしています(笑)。問題視した人は今まで誰もいません。(プレート設置を取り上げた)番組は見ていませんが、実情も知らずに無責任なことを言っていたんじゃないでしょうか」

この騒動を取材したフリーライター清水氏はこう記事にまとめている。「外国人ならこう思うに違いない」と勝手に忖度した日本人が騒ぐという、よくある構図が透けて見えると_ なるほどね。



この一件で、リチャード田中さんの語り口は変わってゆくのかな。

    (ライブドアニュースより一部引用)